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        <title>幕末の侠客 『吉良の仁吉』 人物講座</title>
        <link>http://zakzak.biz/</link>
        <description>清水次郎長の子分で、義理と人情の男として知られる吉良の仁吉。伊勢荒神山における穴太徳（あのうとく）との決闘で善戦及ばず、鉄砲に撃たれ28歳という若さで亡くなりました。</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2008</copyright>
        <lastBuildDate>Fri, 19 Dec 2008 23:34:04 +0900</lastBuildDate>
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            <title>荒神山の喧嘩</title>
            <description><![CDATA[<p>吉良の仁吉を語る上ではずせない物語が、映画や芝居、浪曲、講談で伝え続けられている『荒神山の喧嘩』です。</p>
<p>慶応2年（1866年）4月8日、現在の三重県鈴鹿市加佐登において「荒神山の喧嘩」が勃発しました。時は徳川幕府による長州征伐の噂でごった返していた時代のことです。むろんそういうニュースは仁吉の住んでいる三州吉良にも伝わっていました。</p>
<p>その年の三月も終わりに近づこうとする頃、次郎長の縄張りでいざこざがあり、次郎長の子分、大政らが百姓の家を焼いてしまう事件がありました。世間の手前、大政らは清水にいられなくなり、仁吉の下で厄介になっていました。</p>
<p>そんな頃、縁あって兄弟の杯を交わした神戸長吉（かんべのながきち）が仁吉を尋ねて来ました。仁吉は長吉との久しぶりの再開を喜び、長吉は仁吉を尋ねて来た訳を話しました。</p>
<p>長吉は黒田屋勇蔵の子分で、当時伊勢きっての大親分になっていた穴太徳（あのうとく）とは、もともと心を許しあった兄弟分の関係でした。<br>ところが親分の黒田屋勇蔵が仏心をおこして出家した後、角井角之助の陰謀にはまって4年間入牢している間、勢力拡大を目論む穴太徳に縄張りを奪われてしまいました。</p><p>仁吉はわざわざ自分を頼ってきてくれた長吉の思いに応えるため、大政ら総勢22人で伊勢湾を渡りました。仁吉らは加佐登神社で戦勝祈願をして、穴太徳率いる総勢130人と血戦に臨みました。</p><p>博徒同士の戦場は混戦で勝敗はわかりません。穴太徳側の頭領、角井門之助は「まず、大男を撃て」と部下に命じました。仁吉、大政とも長身だったからです。二人とも奮闘しましたが、仁吉は穴太徳側の猟師の銃弾を受け、身動きの取れないところを角井門之助に斬られたため、血しぶきをあげて倒れました。これを見た大政は仁吉を助けに行き、槍で応戦して角井門之助を討ち取りました。穴太徳側は頭領を倒されてしまったので狼狽して逃げていきました。</p><p>穴太徳側の戦死者は5人、仁吉側の戦死者は2人、重傷者は仁吉を含め9人でした。<br>敵の残した刀槍を片付けて石薬師に引き上げたところで仁吉は息を引き取りました。</p>
<p>荒神山の喧嘩の後、次郎長は翌年5月「仁吉の弔い合戦」と称して、子分500名近くを携えて穴太徳に喧嘩を挑みました。次郎長は戦いに勝利し、伊勢を配下に収めました。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">107)荒神山の喧嘩</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 19 Dec 2008 23:34:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>吉良の仁吉 エピソード</title>
            <description><![CDATA[<p>吉良の仁吉はいったいどういう人物だったのでしょう？</p>
<p>仁吉には『いち』という姉がいて、その息子の記憶によると<b><span style="background:#ffff00">「仁吉は6尺近い大男で、あばた顔の左アゴに少し傷があって、おまけにちょっとドモリであった。ただし、評判の孝行者で非常に腕が立った」</span></b>と述べていたそうです。</p><p>また、生来無口で丸顔の容姿から<b><font color="#0000ff">『だんまり地蔵』</font></b>というあだ名がつけられていたと伝えられています。</p>気は優しくして力持ちという印象を受けますが、清水次郎長、寺津の間之助が一目置いていた吉良の仁吉がどんな人物だったのか、その人柄がうかがい知れるエピソードを、尾崎士郎著『吉良の男』よりご紹介しましょう。</p>
<p><b><font color="#ff0000">【奉納相撲の後の喧嘩で仁吉一人で戦う】</font></b><br>18歳で初土俵に立った奉納相撲で仁吉があまりの強さで勝ってしまったため、家に帰る途中、負かした相手連中と喧嘩になりました。<br>仁吉の仲間は後で喧嘩になることを予想していたため、帰りは仁吉を護衛してやろうと考えていました。<br>ところが仁吉は<b><span style="background:#ffff00">「味方が多くなれば、敵の数も多くなる。お互い命がけで戦えば、どれだけ多くのけが人が出るとも限らない。いざとなったら一人の方が気楽で勝手もいい。」</span></b>と思い、仲間をまいて一人でその場所を後にしたとのことです。</p>
<p><b><font color="#ff0000">【縄張り荒らしを成敗】</font></b><br>
仁吉が清水の生活で3年が過ぎ、清水一家の中で頭角を現してきた頃、次郎長の縄張りで洲本の平七という男が、何の挨拶もなく勝手に堵場を開いていました。<br>相手にするほどの男ではありませんでしたが、縄張り荒らしを見過ごすわけにはいかず、仁吉は次郎長の代理で平七の成敗に向かいました。<br>平七は清水に仁吉がいることを知っており、仁吉が堵場に現れて凄んだとたん、その場に居合わせた連中はみな色を失い、平七は観念し平謝りしました。<br>そこで仁吉がとった行動は、平七をボコボコにするわけでもなく、平七に向かって「たまたま近くの居酒屋で呑んでいて、ふらっとこの堵場へ見物しに来ただけだろ」と<b><span style="background:#ffff00">平七が次郎長の縄張りで自ら堵場を開いたことは見て見ぬふりをして見逃してやりました。</span></b><br>この一件を丸く治めてきた仁吉の話を聞き、次郎長はたいそう満足したそうです。</p>
<b><font color="#ff0000">【吉田一家へ詫びを入れる】</font></b><br>
仁吉の子分の仙助が隣村の貸元、吉田の惣五郎を殺してしまった時のこと。<br>隣村の吉田一家では吉良一家の仕業だと騒いでいましたが、仁吉は自分の子分が勝手に人を殺すことなどあるはずがないと、全く気にも留めていませんでした。<br>そんな時、仙助が惣五郎の首を持って仁吉の前に現れました。仁吉は取り乱すことなく、たまたま家に遊びに来ていた女中"おうた"と子分の"亀"に旅支度を整えさせ、仙助に二百両を渡して横須賀村から逃がしてやりました。<br>惣五郎の首を源徳寺で葬ってもらうよう子分の"竹"に命じた後、仁吉は丸腰で一人、惣五郎の家へ向かいました。<br>惣五郎の姐さんといきり立つ十人あまりの吉田一家の連中に向かって仁吉は、"惣五郎を手にかけたのは自分の身内であり、全く申し訳なかった"と丁寧に詫びを入れました。<br>しかし、その身内の身体を渡すことはできないので、かわりに自分の身体を渡しに来たこと、そして跡目で困るようなことがあれば、清水次郎長と寺津の間之助に何とかしてくれるよう手紙を書き残してきたことを伝えました。<br>それを聞いた吉田一家の一座は、そんな自分の身を省みない仁吉の心意気を感じ、惣五郎の仇討ちをしようという気もなくなってしまったとのことです。</p>]]></description>
            <link>http://zakzak.biz/2008/12/post-4.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">106)吉良の仁吉 人柄</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 17 Dec 2008 22:13:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>吉良の仁吉 人物相関図</title>
            <description></description>
            <link>http://zakzak.biz/2008/12/post-3.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">105)吉良の仁吉 人物相関図</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 17 Dec 2008 22:13:09 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>吉良の仁吉 侠客になったいきさつ</title>
            <description><![CDATA[<p><b>仁吉は寺津（現在の愛知県西尾市寺津）の親分、間之助と出会ったことが、彼の侠客人生を歩むきっかけとなりました。</b></p>
<p><b>【寺津の間之助との出会い】</b><br>
仁吉が18歳の時、初土俵を踏んだ奉納相撲の帰り道で、負かした相手グループの十数人に仕返しに合い、そこで助けてもらったのが寺津の間之助でした。<br>寺津の間之助は、奉納相撲の土俵に立った仁吉の男っぷりに惚れ込み、気が向いたら尋ねてこいとその場で約束しました。</p>
<p><b>【仁吉、人を殺める】</b><br>
寺津の間之助との出会いから約1年後、仁吉が知り合いに誘われ賭場へ出かけた際、素人の旦那がやくざにいためつけられているのを目の当たりにしました。<br>仁吉はその場を見ていられず口を挟んだら、やくざ衆が襲いかかってきました。始めはかわして逃げるつもりでいましたが、後から槍を持った浪人が現れ無我夢中でかわしていたところ、どうにも我慢できなくなり相手の持っていた槍で浪人を殺してしまいました。</p>
<p><b>【仁吉、清水への旅立ち】</b><br>
仁吉は賭場からその足で寺津の間之助のところへ向かい、堵場での出来事を間之助に話し、子分にしてほしいと懇願しました。<br>寺津の間之助は、仁吉の度胸と人柄から将来立派な侠客になると思い、兄弟分の清水次郎長の下で修行することを勧め、翌朝、仁吉は清水へ旅立って行きました。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">104)吉良の仁吉 侠客になったいきさつ</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 15 Dec 2008 21:01:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>吉良の仁吉 生まれたところ</title>
            <description></description>
            <link>http://zakzak.biz/2008/12/post-1.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">103)吉良の仁吉 生まれたところ</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 15 Dec 2008 20:31:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>吉良の仁吉 年表</title>
            <description><![CDATA[<p>吉良の仁吉は、日本が近代化の大変革を遂げる幕末に青年時代を過ごしました。<br>
歴史上、激動の幕末や明治維新で名を残した若き志士たちと全く同じ年代でもあります。<br>
吉良の仁吉自身は政治とは無縁の侠客人生を送りました。</p><br>
<table cellspacing="1" cellpadding="0" border="0">
<tbody>
<tr>
<td class="m2">元号</td>
<td class="m6">西暦</td>
<td class="m3">世間のできごと</td>
<td class="m4">年齢</td>
<td class="m5">吉良の仁吉の歩み</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">天保10年</td>
<td class="m6">1839年</td>
<td class="m3">蛮社の獄</td>
<td class="m4">1歳</td>
<td class="m5">太田仁吉誕生</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">天保11年</td>
<td class="m6">1840年</td>
<td class="m3">アヘン戦争</td>
<td class="m4">2歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">天保12年</td>
<td class="m6">1841年</td>
<td class="m3">伊藤博文誕生</td>
<td class="m4">3歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">天保13年</td>
<td class="m6">1842年</td>
<td class="m3">異国船打払令廃止</td>
<td class="m4">4歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">天保14年</td>
<td class="m6">1843年</td>
<td class="m3">新潟奉行設置</td>
<td class="m4">5歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">弘化元年</td>
<td class="m6">1844年</td>
<td class="m3"></td>
<td class="m4">6歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">弘化2年</td>
<td class="m6">1845年</td>
<td class="m3">水野忠邦老中辞職</td>
<td class="m4">7歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">弘化3年</td>
<td class="m6">1846年</td>
<td class="m3"></td>
<td class="m4">8歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">弘化4年</td>
<td class="m6">1847年</td>
<td class="m3">善光寺地震</td>
<td class="m4">9歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">嘉永元年</td>
<td class="m6">1848年</td>
<td class="m3"></td>
<td class="m4">10歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">嘉永2年</td>
<td class="m6">1849年</td>
<td class="m3">松前城築城開始</td>
<td class="m4">11歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">嘉永3年</td>
<td class="m6">1850年</td>
<td class="m3"></td>
<td class="m4">12歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">嘉永4年</td>
<td class="m6">1851年</td>
<td class="m3">ロンドン万国博覧会</td>
<td class="m4">13歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">嘉永5年</td>
<td class="m6">1852年</td>
<td class="m3"></td>
<td class="m4">14歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">嘉永6年</td>
<td class="m6">1853年</td>
<td class="m3">ペリー浦賀来航</td>
<td class="m4">15歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">安政元年</td>
<td class="m6">1854年</td>
<td class="m3">日米和親条約</td>
<td class="m4">16歳</td>
<td class="m5">半田の酢屋へ奉公</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">安政2年</td>
<td class="m6">1855年</td>
<td class="m3">安政の大地震</td>
<td class="m4">17歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">安政3年</td>
<td class="m6">1856年</td>
<td class="m3">ハリス下田来航</td>
<td class="m4">18歳</td>
<td class="m5">奉納相撲初土俵入り</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">安政4年</td>
<td class="m6">1857年</td>
<td class="m3">渋染一揆</td>
<td class="m4">19歳</td>
<td class="m5">清水次郎長へ弟子入り</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">安政5年</td>
<td class="m6">1858年</td>
<td class="m3">安政の大獄</td>
<td class="m4">20歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">安政6年</td>
<td class="m6">1859年</td>
<td class="m3">吉田松陰死罪</td>
<td class="m4">21歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">万延元年</td>
<td class="m6">1860年</td>
<td class="m3">桜田門外の変</td>
<td class="m4">22歳</td>
<td class="m5">清水より帰郷</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">文久元年</td>
<td class="m6">1861年</td>
<td class="m3">東禅寺事件</td>
<td class="m4">23歳</td>
<td class="m5">吉良一家を興す</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">文久2年</td>
<td class="m6">1862年</td>
<td class="m3">寺田屋事件</td>
<td class="m4">24歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">文久3年</td>
<td class="m6">1863年</td>
<td class="m3">薩英戦争</td>
<td class="m4">25歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">元治元年</td>
<td class="m6">1864年</td>
<td class="m3">池田屋事件</td>
<td class="m4">26歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">慶応元年</td>
<td class="m6">1865年</td>
<td class="m3"></td>
<td class="m4">27歳</td>
<td class="m5"></td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">慶応2年</td>
<td class="m6">1866年</td>
<td class="m3">薩長同盟</td>
<td class="m4">28歳</td>
<td class="m5">荒神山の戦で死亡</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">慶応3年</td>
<td class="m6">1867年</td>
<td class="m3">大政奉還・王政復古</td>
<td class="m4">-</td>
<td class="m5">-</td>
</tr>
<tr>
<td class="m2">明治元年</td>
<td class="m6">1868年</td>
<td class="m3">戊辰戦争</td>
<td class="m4">-</td>
<td class="m5">-</td>
</tr>

<p></tbody></table><br />
</p>]]></description>
            <link>http://zakzak.biz/2008/12/-10-183.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">102)吉良の仁吉 年表</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 14 Dec 2008 20:55:39 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>吉良の仁吉 プロフィール</title>
            <description><![CDATA[<p>【<b>吉良の仁吉（きらのにきち）</b>】</p>
<table cellspacing="1" cellpadding="0" border="0">
<tbody>
<tr>
<td class="m1">本　　　　名</td>
<td>太田　仁吉</td></tr>
<tr>
<td class="m1">生 年 月 日</td>
<td>天保10年（1839年）1月1日※</td></tr>
<tr>
<td class="m1">出　 生　 地</td>
<td>三河国幡豆郡横須賀村（現在の愛知県幡豆郡吉良町）</td></tr>
<tr>
<td class="m1">身長／体重</td>
<td>6尺（約180cm）／24貫（90kg）</td></tr>
<tr>
<td class="m1">趣　　　　味</td>
<td>自宅の近くを流れる矢作古川で横笛を吹くこと</td></tr>
<tr>
<td class="m1">性　　　　格</td>
<td>無口で温良な性質で正義感が強い</td></tr>
<tr>
<td class="m1">経　　　　歴</td>
<td>19歳から3年間、駿河国有渡郡清水湊（現在の静岡県静岡市清水区）の清水次郎長の元で過ごした後、故郷へ帰り吉良一家を興す。<br>慶応2年（1866年）4月8日、28歳の時に伊勢鈴鹿郡荒神山の争いで死亡。<br>わずかな恩に報いるために、負けるとわかった戦に挑み28歳の若さで散った吉良の仁吉は、義理と人情の男として後世伝えられています。</td></tr>
</tbody></table>
<p>※吉良の仁吉の墓がある源徳寺墓地の説明板による。ちなみに尾崎士郎著『吉良の男』によると、天保10年12月20日生まれと記されている。</p>]]></description>
            <link>http://zakzak.biz/2008/12/post.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">101)吉良の仁吉 プロフィール</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 14 Dec 2008 13:28:36 +0900</pubDate>
        </item>
        
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