吉良の仁吉 エピソード
吉良の仁吉はいったいどういう人物だったのでしょう?
仁吉には『いち』という姉がいて、その息子の記憶によると「仁吉は6尺近い大男で、あばた顔の左アゴに少し傷があって、おまけにちょっとドモリであった。ただし、評判の孝行者で非常に腕が立った」と述べていたそうです。
また、生来無口で丸顔の容姿から『だんまり地蔵』というあだ名がつけられていたと伝えられています。
気は優しくして力持ちという印象を受けますが、清水次郎長、寺津の間之助が一目置いていた吉良の仁吉がどんな人物だったのか、その人柄がうかがい知れるエピソードを、尾崎士郎著『吉良の男』よりご紹介しましょう。【奉納相撲の後の喧嘩で仁吉一人で戦う】
18歳で初土俵に立った奉納相撲で仁吉があまりの強さで勝ってしまったため、家に帰る途中、負かした相手連中と喧嘩になりました。
仁吉の仲間は後で喧嘩になることを予想していたため、帰りは仁吉を護衛してやろうと考えていました。
ところが仁吉は「味方が多くなれば、敵の数も多くなる。お互い命がけで戦えば、どれだけ多くのけが人が出るとも限らない。いざとなったら一人の方が気楽で勝手もいい。」と思い、仲間をまいて一人でその場所を後にしたとのことです。
【縄張り荒らしを成敗】
仁吉が清水の生活で3年が過ぎ、清水一家の中で頭角を現してきた頃、次郎長の縄張りで洲本の平七という男が、何の挨拶もなく勝手に堵場を開いていました。
相手にするほどの男ではありませんでしたが、縄張り荒らしを見過ごすわけにはいかず、仁吉は次郎長の代理で平七の成敗に向かいました。
平七は清水に仁吉がいることを知っており、仁吉が堵場に現れて凄んだとたん、その場に居合わせた連中はみな色を失い、平七は観念し平謝りしました。
そこで仁吉がとった行動は、平七をボコボコにするわけでもなく、平七に向かって「たまたま近くの居酒屋で呑んでいて、ふらっとこの堵場へ見物しに来ただけだろ」と平七が次郎長の縄張りで自ら堵場を開いたことは見て見ぬふりをして見逃してやりました。
この一件を丸く治めてきた仁吉の話を聞き、次郎長はたいそう満足したそうです。
仁吉の子分の仙助が隣村の貸元、吉田の惣五郎を殺してしまった時のこと。
隣村の吉田一家では吉良一家の仕業だと騒いでいましたが、仁吉は自分の子分が勝手に人を殺すことなどあるはずがないと、全く気にも留めていませんでした。
そんな時、仙助が惣五郎の首を持って仁吉の前に現れました。仁吉は取り乱すことなく、たまたま家に遊びに来ていた女中"おうた"と子分の"亀"に旅支度を整えさせ、仙助に二百両を渡して横須賀村から逃がしてやりました。
惣五郎の首を源徳寺で葬ってもらうよう子分の"竹"に命じた後、仁吉は丸腰で一人、惣五郎の家へ向かいました。
惣五郎の姐さんといきり立つ十人あまりの吉田一家の連中に向かって仁吉は、"惣五郎を手にかけたのは自分の身内であり、全く申し訳なかった"と丁寧に詫びを入れました。
しかし、その身内の身体を渡すことはできないので、かわりに自分の身体を渡しに来たこと、そして跡目で困るようなことがあれば、清水次郎長と寺津の間之助に何とかしてくれるよう手紙を書き残してきたことを伝えました。
それを聞いた吉田一家の一座は、そんな自分の身を省みない仁吉の心意気を感じ、惣五郎の仇討ちをしようという気もなくなってしまったとのことです。